何故にこのようなタイトルになっているのかというと、これはもう、リアルタイムに読んでいる、少なくともこの文書がアップロードされてから±24時間以内に訪れてくれた人でなくては、すぐにはわからないのではないかと思う。
なにしろ、まず、残された時間がないのである。いや、私がもうすぐ死ぬとかそういうわけではない。もちろん、これから、インターネットにもつながらない辺境の地に赴くというわけでもない。つまり、更新までの時間がないのである。
この時点で、既に23時をまわってしまっている。“今日”中に更新をするためには、ほぼ1時間ないことになるのである。実のところ、かなり無理な計画だったように思うのだ。たまたま、今週のはじめに2日連続更新して、ついでに3日目もうまく行ったので、4日目のアップロードとともに、「一週間連続更新計画遂行中」などと軽々しく宣言してしまったのである。だが、よく考えてみると、昨日も書いたとおり、発表論文と輪講準備と終わらないレポートとに苛まれているところだったのだ。しかし、今日の朝の時点では「忙しければ忙しいほど、燃えるってものさ」と自分の中で豪語していたのである。ところが、22時を過ぎて研究室で英語の論文を翻訳している自分に気がついたとき、「これは拙いかもしれない」と思いはじめたのである。なにしろ、時間がない。さらに重要な問題もあるのだった。
なにしろ、ネタがないのである。忙しければ忙しいほど、ネタに事欠かない筈だったのだが、「忙しい」というネタは昨日使ってしまったのだった。しかも、くだらないことに思いを馳せて膨らませるなどという余裕は明らかになかったのである。
とは言ってみるものの、ネタがないという状態は、言い訳にこそなれ、更新しないというのは、宣言に対する裏切りであろう。ともかく、自分のプライドの問題なのである。ところが、方法はなくはないのである。
なにしろ、ネタがないのだから、その「ネタがない」ということをネタにすればよいのだ。これは、様々な文章系あるいは定期更新系のサイトで行われている、実に有名な方法である。しかし、これは実のところ大きな借金に等しいものがある。結局この方法もひとつのネタのカタチであり、しかも、必殺技に近いものである。すなわち、ひとたび使うと、もはや二度と使ってはならない種類の禁断の技なのである。むろん、本当にネタがあるときにマクラとして使用するという変則技もなくはないが、このようにギリギリの、いっぱいいっぱいのときに使うことができるのは、ただ一度きりである。
そういっているあいだに、もう23時20分をまわってしまっているのだった。というような、現在時刻を述べるタイプの技も使ってしまったのである。なんと、いっぱいいっぱいなことか、というのがみてとれるではないか。なにしろ、更新までは、と思って、買ってきた弁当さえ手をつけないままである。いつもならば、帰って来たらすぐに風呂に入って着替えるところだが、今日は、帰ってきたままの格好でキーボードをたたいているのであった。
そして、ここから如何せん、と思う次第である。この直前の句点のところまででテキストとしては2580バイトである。いつもと比較すると、いまだ少しばかり少ないのだ。と、このような書いた量の実況中継型というのもネタがないときの方法として使ってしまったのだ。ますますもって、将来の自分に対する借金が増えていっている気がする。そもそも、明日の更新はどうするのだ。そしてあさっての更新は…。今日はまだ5日目に過ぎないのである。
しかし、はじめに考えるべきであったのは、本当に更新の必要があったのか、ということなのだった。「一週間連続更新計画遂行中」とは言っても、リアルタイムで読む人がいるのかどうかも怪しいではないか。期待されざる芸人魂というものほど、哀しいものはないではないか、と思うのである。そこまで私は強くない。だが、このようなつまらないことに拘泥するあたり、やはり、ダメ人間を自負するだけのことはあるような気がする。
ともかく、ここまで書いてしまったからには、アップロードせざるを得ないと思う。あっ、24時になってしまう!ここからHTMLに加工しなおし、レスポンスの悪いサーバーにアップロードすることを考えると、時間が足りない気がしてくるのだ。おお!そうだ、最後の禁断の必殺技がある。
世界標準時で今日中って、やっぱりダメですか?