眼力とその仲間

昨日、「眼力(がんりき)」という言葉を何気なく使ったら、ある人に、
  おれとしては「めぢから」を推薦したい。
とのお言葉を賜った。いや、どう考えても「がんりき」と読むと思うのだが。試しに、「めぢから」を変換してみたところ、「眼力」 おわ、出るじゃないか。恐ろしきは、学習効果というべきか。

そもそも、眼力(がんりき)という言葉はどういう意味か。「事物の理非・善悪を見分ける能力」のことである。審美眼とか、そういうものであろう。まあ、第二の意味として、「視力」のことも言うが、この場合は、素直に「視力(しりょく)」という言葉を使えばいいわけである。

ところが、「めぢから」という言葉に至ると、少々意味合いが異なると思われる。まず、普通の言葉ではない、胡散臭さが漂っている。ちにてんてんのぢを使うあたりで既にして怪しさ満載である。この文字を今でも堂々と使用しているのは、ヒサヤ大黒堂くらいなもので、これでさえ、「痔」の読みは「じ」と表記するにもかかわらず、「ぢ」と表記している。

ともかく、「めぢから」には、一種独特の怪しさが漂う。少々意味合いが云々と書いたが、これはなにかというと、ある人間が「めぢから」を使う光景を見てくれればわかる。
 . . . . . . !(めぢから)
  「なんじゃい、見つめやがって」
 . . . . . . !(めぢから)
  「なんか言えよ!」
 . . . . . . !(めぢから)
  「ガン垂れてんじゃねぇ!」
 . . . . . . !(めぢからぁ!)
  「くのぉ!」(どか、ばき、べき)
 . . . . . . (め、め、めぢか…ら)
ろくなことは起きない。

しかし、この「めぢから」は、人に通じるのである。みなさんも経験があるだろう。遠くからある人の後ろ姿をじっと見ていると、思わず振り返った、などということが。これは、視覚をつかさどる脳細胞が後頭部に存在することとも、全く無関係ではない。後頭部の頭蓋を通して、めぢからパワーが脳細胞に刺激を与え、危険を察知したか、好意を察知したかは知らないが、振り返るという動作につながったのである。

このような不思議な力を持つ「めぢから」であるが、同種のものに「てぢから」があると思われる。これは、HANDPOWER の直訳であり、超魔術で有名なものである。やはりこれも、怪しさ、胡散臭さの爆発する「ぢから」であろうと思うのである。

実際、このような力を持っている人もいなくはないが、これとて、顔を真っ赤にするほどの体力を使ってコインを動かす必要があるのだろうか、それよりは指で動かしたほうがよほど早いし楽である。人間、すべて楽なほうに楽なほうにという傾向があるから、このような能力は存在しつづけることのほうが困難ではないか、と思うのだ。

さて、「めぢから」は視覚の巣である「眼」によるもので、「てぢから」は触覚の巣である「手」によるものであると考えることができるだろう。いや、たしかに、触覚は体表面に満遍なくあるものだが、しかし、「ここさわってみて」といわれたときに足を出せば逃げられるし、頬を出せば引っ叩かれることくらいはわかるだろう。よって、ここでは、手を触覚の代表とする。そう考えると、残りの感覚である「耳」(聴覚)、「鼻」(嗅覚)、「舌」(味覚)はいかがなのであろうか。

まず、耳である。「みみぢから」である。
 . . . . . . (みみぢから)
  「ただの地獄耳だろうーが!」
 . . . . . . (みみぢから)
  「っていうか、盗み聞きだろ!」
 . . . . . . (みみぢから!)
  「つまみだせ!」(どか、ばき、べき)
ろくなことは起きない。

それでは、鼻である。「はなぢから」である。
 くんくん、くんくん. . . (はなぢから)
  「なんだよてめー!」
 くんくん. . . (はなぢから)
  「なんだってんだよ!」
 くんくん. . . 「風呂はいってないっしょ?」
  「あぁん!」(どか、ばき、べき)
 (はなぢ、たら〜)
やはり、ろくなことは起きない。

最後に、舌である。「したぢから」である。
 ぺろ. . . (したぢから)
  「舐めんじゃねえ!」(どか、ばき、べき)
ほら、ろくなことは起きない。しかも、瞬殺である。

「ぢから」関係には、やはり危険なものがおおい模様である。いや、だからなんだというわけではないのだけれど。

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