目薬スナイパー

ねむたいのだ。おそらくは、寝不足なのである。睡眠不足なのである。時間にしてみれば十分に寝ているものと思われるのだが、寝ている体勢というか姿勢というかが悪いのであろう、熟睡していないものと思われる。夜になったらきちんと寝て、朝になったらしゃんと起きるという生活をすればよいのであろうが、そうは問屋が卸さないらしい。24時をまわったあたりから目が冴え始めて、丑三つ時をすぎてもその状況が続くのだ。未明という言葉のしっくりする頃に眠気が来て、夏ならば明るくなる頃に眠りにつく。しかし、なんとなく寝るから、眠ることそのものに集中できていないのであろう、寝不足のままに目を覚まし、時間が時間だから大学に行くということになる。大学に行ったら行ったで、研究室で眠気が到来する。研究室の机で、ハンカチを頬の下に敷いて昼寝をこく。ほんの数十分なのだが、その後は快適である。こんな中途半端な昼寝をしているから、まともに眠れないのではなかろうかと思う。ただ、まともに昼寝をしていたら、それこそ夜に眠れないであろうことも事実である。

好き勝手に昼寝をとれるときはいいのだが、なにぶん、やらなくてはならない仕事があって、それをやるつもりはあるのだが、眠気があってたまらないというときには、様々な手段を講じる。冷たい水で顔を洗うだとか、コーヒーでも飲むだとか、気晴らしに出掛けてみるだとか、全く違うことをしてみるだとか、雑文を書いてみるだとかである。しかし、もっとも手っ取り早い方法は、やはり、目薬をさす、という方法ではないかと思うのだ。目薬のよいところというのは、まず、机から離れなくてよい。よって、貴重な時間を無駄にしなくてもすむ。いかにも、眠気を覚ましているのだと奮起する。こういったメリットがある。

目薬を使う人はだいたい二種類にわかれると思う。目を洗うために目薬を使用する人と、目に刺激を与えるために目薬を使用する人である。コンタクト常用者に洗う人は多いのではないかと思うのだが、私は眼鏡もコンタクトもしないのでよくわからない。私は目に刺激を与えるために目薬を使用する人間のひとりである。刺激を与えることで眠気を覚まそうという魂胆である。

刺激と言っても限度があるわけで、あるレベルまでは心地よい刺激であっても、そのレベルを超えてしまうと痛みに変わってしまう。私が自ら目薬を購入したときの言葉は、「痛すぎない目薬ください」であった。「痛くない」では不足なのだ。眠気が覚めない。そもそも私が目薬を購入したのは、徹夜のバイトをしている頃であり、その直後に大学に行って講義を受けるためであったからして、ある程度の刺激は必要だったのだ。だからといって、「痛すぎる」のは駄目なのである。駄目だというか、痛みに弱い自分である。

さて、目薬のさしかたにもいろいろある。おそらくオーソドックスなのは、目薬を片手に持ち、もう片方の手で瞼を固定し、そこに点眼するという方法であろう。器用な人になると、目薬を片手に持ち、上を見て、さらっと点眼する。私はどうも照準が甘いのかできないのだが。

というわけで、点眼の照準をどうやって合わすかということを、ここで検証してみよう。

いま、目薬をとりだしました。さあ、点眼です。キャップを開き、右手の親指と人差し指で目薬を持ち、右目を開き、左手で右目の瞼を固定します。少々開きすぎの感がありますが、的は大きいほうがよろしいとばかりに押し開いております。右手の目薬をそろそろと目の上に移動し、ひっくり返します。おお、目薬の穴が見えます。目のピントを穴にしっかり合わせて、右手の指に微少なる力を加えます。滴が穴にあらわれ、穴の輪郭がぼやけます。目を見開きます。落ちました、視界がぼわっとなります。くーっ。

こういった具合である。おそらく、照準のポイントは、穴にピントを合わせるというところであろうか。

ところが、この穴を見つめるということができない人がいる。目の前のものにピントを合わせることが恐ろしくてできないらしい。そうなると、的中率が格段に下がるのだが、その人は、ちょっとした方法で照準を合わせていた。鏡を見ながら、目の位置と目薬の位置をあわせるのである。しかし、それでも外してしまって、ながれるなみだ(キラッ)の状態であったから、この方法もあまり精度のよいものではあるまい。

目の上の数センチのところでこれだけ微妙な精度であるから、もっと離すとかなりの精度を必要とするに違いない。そのような精度のきわめて高い状態というのを「二階から目薬」といっているのは、皆さんご存知であろう。精度もしかることながら、「二階から」であるからひとりでは到底無理である。よって、チームワークの大切さもこの諺は説いているのである。また、そもそも二階から目薬をさすためには、二階の床から一階の天井にかけて穴を開けねばならない。この諺は、目的のためには手段を選ばない、ということも説いているのだ。

さて、二階から目薬をさす、いやこの距離ではすでに、目薬をうつ、というスナイパーの感があるが、それを目の中に入れるにはどうしなくてはならないのだろうか、ということを考えると気になってしかたがない。照準を合わせる方法が、目薬の穴をしかと見ることであるとするならば、これは相当に目がよくなくてはならない。穴の直径はせいぜいが2ミリ強であり、天井から自分の目までの距離を2メートルとするとかなりの視力である。しかも、落下してくる間に微調整をしようと思うならば、その間、目を開けつづけなくてはならないし、かなりの敏捷性が要求される。先ほどの2メートルという仮定に基づくならば、落下時間は約0.64秒である。しかも、目に到達するときの液滴の速度は、秒速6.2メートル、なんと時速22.5キロである。ちょっとした自転車並みの速度があるのだ。恐ろしいことである。ただし、空気抵抗は考えていないので、実際にはもう少し遅くなるのだけれども。だが、空気抵抗があるということは、風の影響があるということで、もはやどこに落下するかわからないのである。「二階から目薬」という諺は、極めて困難なことのたとえ、意のままにならぬことのたとえとしても用いられるのであった。

そういった具合で、目薬にもいろいろなさしかたがあったのだが、そもそもの眠気を覚ますという目的からすると、明らかに間違っている人を知っている。目薬をさす、くーっと刺激、いたぁいと目をつむる、ぎゅーっとつむり、そのままおやすみなさい…。いや、それはやっぱりおかしいと思うぞ。というわけで、その人は、眠気覚ましのために目薬を使うことはないそうである。

あ、そうだ、もうひとつ目薬といえば、である。某友人、目薬をさすときに目を見開くのはいいけれども、いっしょに口まで開くのは、間抜けだからやめなさいね。

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