北極の氷山

妹からメールがきた。ときどきメールを送ってきて、それに返事を書いてやったりする。が、ときとして、日常茶飯事からコンピュータからインターネットに至るまで、そぼく〜なぎもんをぶつけてきたりするのであった。

そいでもって今回の質問、である。子供電話相談室ではない。

質問でござります。

きのう瀬戸口と悩んでたんだけど。
あのね、北極とかで、海水が凍って氷山になるじゃん?
そのとき、海水の中に溶けている、塩は何処に行くんでしょうか。

昨日聞いた英文の中に、
「淡水が氷山になって、云々…」
て言うのがあったのね。そしたら、
セッティーがそういう疑問を抱くけん
そういえば・・・。ッてヒロコもね。

そういうことなので、お返事ヨロピク。

(著者註) 瀬戸口 = セッティー = 英語教師

って、それだけである。近況もなんもない。ま、それは自分としても言えたもんじゃないメールを頻繁に出してはいるが。

で、おもむろに返事を書きはじめたのだが、調子にのって、ふと気がつくと膨大な量になっている。自分でも驚いた。憑依状態になっていたとしか考えられない。目の前にはこんな文章があった。しかも、すでに送信済みである。

海水はおよそ3〜4%の塩分を含むといわれているが、実際には海の場所によってその濃度にはかなりの差がある。また、海水はかなりの物質を含んでいることが知られており、いわゆる塩分(塩化ナトリウム)以外にも、マグネシウム、カルシウム、カリウムなどの金属イオン、および、塩化物イオン、硫酸イオン、炭酸イオンなどをふくむ。さらに、微量ではあるが、金やウランなども含んでいる。

さて、塩分を含んだ海水がこおると、その氷はどうなってしまうのか?

冷凍庫で氷を作る場合には、周辺から中央に向かってこおっていく。しかし、微視的に見ると、これとは逆であり、まずはじめに核となる氷の微細な粒ができ、その周辺で氷結が進行し、次第に大きな結晶へと成長する。これがいたるところで起こり、大きくなった結晶どおしが合体して、さらに大きな塊へと成長する。

さて、海水は塩分を含んでいる、すなわち、不純物を含んだ水である。この場合、「凝固点降下」を起こすことが知られている。海水は淡水よりも凝固点が低い、すなわちこおりにくいのである。よって、海水がこおるときには「水」の部分がこおっていくことになる。これによって塩分(を含んだ水)は追い出されることになる。

また、微視的に(分子レベルで)みれば氷というのは酸素原子と水素原子が規則正しく並んだ(結合した)ものである。その格子には隙間があることはよく知られている(このため、水が凝固すると体積が増え、密度が小さくなり、氷は水に浮くのである)。さて、その隙間に、塩分は入り込みにくい(だからこそ、凝固点降下が起こるのだが)。非常に簡単に言ってしまうと、隙間が小さいのである。とくに塩化物イオンはでかい(周期表を見てほしい)。というわけで、不純物は氷の結晶内から排出される傾向にある。

以上のように、海水がこおるとき塩分は追い出されるということはわかった。だが、話はそう簡単ではない。ある氷の塊はひとつの結晶ではない。よって、そのすきますきまには塩分が入り込んでいるのであった。というわけで、たしかに、海水をこおらせて、その海水中から氷を取り出し、その氷を溶かすと、海水よりも塩分濃度は下がるが、それでもゼロというわけではない。ただ、普及はしていないが、海水から淡水を得る方法として「凍結法」というものがあることは確かである。

さて、長々と説明してみたが、ここで衝撃の真実、しかも少し考えるとわかる真実を明かさなければならない。

北極には確かに陸地が存在しない。よって、その全体が氷でできているといっても過言ではない。しかし、基盤の部分は確かに海水がこおったものかもしれないが、その上部は雪が降ってそれがこおった、いわば、万年雪状態の氷である…! ご存知のとおり、雪は空から降ってくる、ということは、塩分を含まない。というわけで、北極の氷山はしょっぱくない。

余談だが、もちろん、タイタニックの氷山は北極ないし北極圏から流れてきたもので、北極圏の氷山の一部が崩れ落ち、それが北大西洋を漂っていたものであるから、ごく表面付近を除くとしょっぱくないはずだ。ただし、北海道北部オホーツク海の流氷は、海水がその表面でこおったものであるため、含まれる塩分はそれなりにあるのではないかと思われる。

さて、余談が続くが、さらに衝撃の真実(?)がある。たとえ地球温暖化が起こり、北極の氷が全て溶解しても、それが原因で海面が上昇することはないのである。これはホラ話でも仮説でもない。れっきとした真実である。

こんなところで、微妙な謎を残しつつ、今日の講義を終わることにしよう。

なんなんだろう。理系だ。あらためて、いまだ高校化学の知識が衰えていないことを知った。

さて、ここで問題である。今回のメールの往復に関する文章で得られる教訓とはなにか。

  1. 素朴な質問をぶつけてくる妹はこまりものである。
  2. 素朴な疑問に対して山のような講義を行う兄はこまりものである。
  3. ネタがないからといって妹のメールをダシにする兄はこまりものである。
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