こころの師

はたして、こころの師といえるものが、このぼくにはあるのだろうか。軽く思いかえしてみたところ、残念なことに、「こころの師」と自信を持って言える師の存在は、ない。21そこそこの若造がそんなものを自信を持って「いる」と言えるのも少しばかり奇妙だ、とまで思えてしまう。しかし、若いうちこそ様々な影響を受けやすく、その段階で師というべきものを持っていないというのは、やはりこれも変なものなのであろうか。

考えてみれば、ある程度の成功をおさめた段階で、「ああ、あの時のあの人が、師であったのだ」と語ることができるものなのかもしれない。だが、「あの人のようになりたい」と思うような人物をもって精進したから、そのような成功をおさめることができたのかもしれない。「こころの師」というべきものを持っていないとすれば、やはりのびて行かないものであろうか。

「尊敬する人」というものもなかなかない。中学受験のときに面接で聞かれることが予想されていたから、そういうことについて考えたこともあった。たしかにそのときは何か答えを用意していたと思うのだが、今となっては憶えていない。たぶん、歴史上の人物ではなかったのだろうか。もっとも、「両親」とか「父」とか「母」というのが答えとしてあげられている「面接マニュアル」のようなものもあったことは記憶しているが。

両親のごとき卑近な人間が「尊敬にあたいする人物」であるとは、そのときはもちろん、いまだに思えない。こんな自分でも思春期における反抗期というのは経験したし、その経験を終え数年を経た今でも、いや、以前にも増して「尊敬」の対象ではない。あのころ、今の自分は反抗期だろうと思いながらも、「その反抗期というのは、親も人であることを気がついたときに起こるのであり、それを認めることによって終結する」と認識していた。それはともかく、やはり、親というものは、尊敬するにはあまりにも不完全なサンプルであろうと思っている。誤解のないように言っておくが、両親を嫌いなわけではない。その言葉は経験に裏打ちされた確かなものであるし、これからの自身の生き方に充分な参考となることであろう。しかし、それが「憧れ」などになることは未来永劫ありえないと断言できる。遺伝・環境、あまりにも近すぎるのだ。

「こころの師」の話であった。師=先生というべき人たちはこれまでにもたくさんいたであろう。小学校、中・高等学校、そして大学、という時期を過ごしてきているからである。

小学校の先生は今となっては大きな影響を受けていないように思う。自我の形成期であったにも関わらず、である。もちろんいろんなことをやった。勉強もしたし、スポーツもしたし、クラブもやったし、放課後に遊んだりもした。誉められたし、怒られたりもした。それだけである。先生とともにいろんなことをしたが、それだけである。小学校の先生とは、そんなものだったのだ。なにしろ、当時のぼくはこう言ったらしい。参観日に答えが分かっていても手を挙げない、なんでかって?当てられないからだよ、先生はぼくが正解なのを知ってるからはじめに当てることはないのさ。

むしろ影響を受けたとすれば、塾の先生であろう。文系(国・社)、理系(算・理)と個性的な先生がいた。小学校の知識では満足していなかったぼくにとっては、塾で増える知識は新鮮だった。勉強に限らず、解けるか解けないかぎりぎりの問題というのは一番刺激があるものだ。それにしても変な人が多かったと思う。さて、そのなかでおそらく最大の影響を受けていると思うのが、文系の先生のひとことである。6年生のころ、その先生がある授業のはじめに熱弁をふるっていた。その勢いで教卓の上のペンケースが落っこちた。その目の前に席していたぼくはそれを拾い、教卓に戻した。先生は話を続けた。「諸君は受験という戦争に生きている。我武者羅に勉強しなくてはならぬ。人のことを気にしている余裕などないのだ。例えば人の落としたものを拾うような…」そういう内容だったと思う。小学生のぼくにとっては、あまりにも衝撃的だった。

もちろん、そんな戦争をしているつもりはなかったし、生来の(遺伝的な)ノーテンキで、その戦争とやらの時代はすぎていった。その結果、無事、中学に入ったのであった。しかし、あのひとことを今でも記憶しているということは、その衝撃が大きかったといえるやもしれぬ。ときとして、無感動・無感情・冷淡とまでもいわれるこの性格の一端ではなかろうか。

中・高等学校時代の先生たちは、やはり、甲乙つけがたく、皆、よい先生たちであったと思う。もちろん、勉強したし、クラブもしたし、遊びもした。あのころは、典型的なマジメだった。実際、そういう評価だったように思う。先生たちからはいろいろなことを学んだし、精神的な成長に大きな影響を受けている。これまでの人生の中でも、もっとも楽しい時期のひとつだったと断言できる。しかし、ガツンとやられたことはない。

さすがに大学に入ると、先生たちとの中もそれほど深いものにはならない。第一、すごい人、偉い人、とんでもない人が揃っているとはいえ、心から尊敬に値すべき人物はこの大学内にはなかなかいなさそうである。

「こころの師」。あるいは将来、「この人にならついていこう」「この人が憧れだ」といえる人はできるかもしれない。ただ、そうなるためには、その人が衝撃的な一言を与えてくれるときであろうし、そうでなければこのこころが完全に開くこともあるまい。未来永劫にわたって存在しないとはいえない。だが、現在そういう人を持てない自分は寂しい人間だと思う。

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