壁のむこうで

ひとりぐらしはやはり気楽である。自分の部屋に帰って来て、ドアを閉めてしまえば、もはや、他人の目を気にする必要はない。壁に耳あり障子にメアリー、などというが、カーテンを閉めてしまえば、もはやメアリーは何もできないのであった。

ところが、である。アパート・マンションといった集合住宅に住んだことのある方なら周知のことであろうが、壁を通して隣の物音がけっこう聞こえてくるものなのである。大音量の音楽はもちろん、少し乱暴な歩き方をすれば下の部屋に聞こえてしまったり、下手をすると会話まで聞こえてしまうこともあるのだ。夏は窓を開けていたりするので、3部屋むこうの部屋の麻雀の音が聞こえることもあった。夕方、電話の呼出音が聞こえることもある。あ、止まった、留守電の応答だ。なんでこんな大音量にしているんだろう。いかにもバカっぽい声が留守電に向かってしゃべっている。あるいは、夜、隣の電話の会話が聞こえることもある。あらら、突如泣きはじめた、ケンカらしい。さらに、早朝、ドアの開閉音となると、となりどころか、むこう三軒分くらいまで聞こえる。

そういうわけで、音にはそれなりに気を使わなくてはならぬ。まあ、暗黙の了解として、ある程度までは許容するのであるが、ときとして、それを超える輩がいることも確かである。まあ、自分としては、文句をいわれたくないかわりに文句も言わないのだが。そういったわけで、生活音レベル以上の音を深夜に出さない、というのは、これはまあ常識であろう。自分の中では、テレビの音くらいまでは許容範囲内であると思っているのだが、実際どうなのだろう。

それで、深夜の話である。こういうページを作るくらいだから、深夜にはパソコンが起動しており、インターネットに接続しているというのが、基本的な状態である。それに加えて、テレビがついていたりもする。ただ、最近は深夜番組を無為に流すのではなく、ラジオ(FM)を聞いていることがけっこうあるというのが実状だ。ただ、日曜深夜26時以降という時間帯になると、ラジオもテレビもやってなかったりして、苦しむということもある。まあ、月曜の朝に備えてさっさと寝ろという意見もあるが。

さて、そんな音に敏感なある晩のことであった。

壁のむこうから、すなわち正面(パソコンは壁際の机の上にあるため)の数メートル先と思われる場所、要するに隣の部屋から、ある音が聞こえてきた。

女の声である。

また、である。けっこう頻繁なのだ。すなわち“おさかん”なのだ。女の声である。抑揚があるのである。突然、高い声になったりもするのである。これが男の声が叫んでいたり、女の声でも悲鳴であったりするのであれば、即、誰かが通報するのであろうが、そうではないのであった。しかも今晩が初めてというわけではない。

女の声、抑揚があり、突如高くなったり、止まったりする。これは、よく話には聞く、アレではないだろうか、と、やはり思うのである。そして、ラジオのボリュームを下げるのである。趣味が悪いと思われるかもしれないが、そういうものなのである。そして、耳を澄ましてみる。いやらしいと思われるかもしれないが、そういうものなのである。

じっと聞く。じっと聞く。じっと聞く。

よくよく耳を澄まして聞いてみると、これは聞いたことのある種類の声である。やはりそうか。
さらに聞くと、やっと正体がわかった。ときとしてなんとか聞こえるこの節…

そう、隣の女が歌っているのであった。しかも、あまりにもひどい音痴なのであった。

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