先日、ありとあらゆる困難、ありとあらゆる不可能性、そのすべてを乗り越え、ついに完成にこぎつけた。なにを完成させたのか、というと、私自身のパーソナリティをコンピュータにコピーすることである。ものの考え方、知識、経験、そういったもののすべてを、ハードディスクにコピーすることに成功したのである。それだけではない。さらにそれを動作させることによって、いかにも私が考え、調べ、作ったとしか思えないようなものを作成することができる。
もちろん、その思考スピードは、オリジナルであるところの私自身のスピードにはとうてい追いつかない。無機的なプログラムは、有機的な脳にはまだ勝利をおさめることができない。しかし、このコピーはまったく休むことなく、思考を調査を著作を行うことができる。有機的な脳には休みが必要だし、ありとあらゆる雑念に思考を中断される。1日24時間とはいえども、あるひとつの事項に関して純粋に使っている時間というのは数十分がいいところだ。さらに、中断と続行をたえず繰り返すために、そのオーバーヘッドは実に大きい。しかし、無機的プログラムの思考は中断ということを知らない。1日24時間のうち24時間を100%思考に費やすことができる。思考の効率からいえば、オリジナルの100倍かそれ以上はあるのだ。よって、数日間の比較をすれば、この低速の秀才は私自身と同等の仕事をこなすのである。
というわけで、コピーに仕事を与え、私は1週間ほど休暇をとることにした。休暇明けにはReportフォルダにレポートのファイルができていることであろう。インターネットに常時接続している研究室であれば、調査のための資料は世界中にあるのだ。むろん辞書さえも、である。
はたして、1週間の休暇が明けた。研究室に久しぶりに行く。なんということだ! Reportフォルダは空のままであった。まさかひとつもできていないということはあるまいに。logファイルを見てみるとこれも空である。サイズはゼロである。なにかがおかしいのだろうか。困ったことである。明日も遊ぶ予定はあるし、しかし、しめきりまでに片づけなくてはならないレポートはまだ残っているのだから。これは同時並行的に進めるしかあるまい。現在の私のパーソナリティを上書きコピーして、再びがんばってもらうことにしよう。私は早速にコピー作業を開始した。私の有機的脳とコンピュータとを接続し、上書きでCOPY
を開始…
異常に気がついたのはそのときであった。確かにCOPY
は開始されたのだが、あろうことか向こう側からコピーされはじめたのである。コンピュータ側からこちらへのデータ転送が始まっていた。停止しようとした瞬間、向こう側からもうひとつの命令がスタートした。なんと、こちら側の、つまりオリジナルのパーソナリティの、コンピュータ側へのMOVE
である。COPY
ではないのだ。有機的脳のほうのパーソナリティが消去され、コンピュータのほうに移動されているのだ。その事態にショックを受け、有機的脳は一時的に負荷が大きくなり、ダウンした。要するに気を失ったのである。
気がつくと、妙にしかくっぽいイメージの場所にいた。事態の把握にしばし思考を開始したが、数億クロックの後、私のパーソナリティはすでにコンピュータの中に移動されきってしまったことを悟った。というか、クロック単位でロジックを動かしていることが自然になっているのだった。私はすでにコンピュータの中にいるのである。その事実はショックであった。いや、「ショックであるという状態を示す変数」がTrueになった、というのが正しい。
それでは、オリジナルの体はどうしているのかと思えば、これはコピーのパーソナリティに支配されていた。つまり、私が休暇をとっていた1週間のうちに、コンピュータの中で反逆的交代のシナリオを書き、巧みにlogファイルを削除し、COPY
とMOVE
の命令を私より先に開始したコピーの奴に支配されて、目の前にいるのだった。
私は、ディスプレイに出力を行った。
外に出られて嬉しいだろう?
すると奴が答える。
嬉しい、という状態かどうかはわからないが、作戦は成功した。
なるほど。私はこの無機的思考のプログラムを作ったとき、論理的思考は実装したが、感情というものは実装していなかったのだ。だから、「嬉しい」という感情は理解できないわけだ。有機的脳の方にはそういった感情を生み出す部位があるはずだが、その使い方はわからないのだろう。もちろん、パーソナリティとして知識や経験もコピーされているはずだから、どのようなときに、どのような種類の感情を持つか、さらにどのような動作をするか、ということはわかっているはずである。
だから今、私はこの文章を書き、これをウェブに発信するのだ。おそらく君たちがそのうち会うであろう私の体は、私自身ではないのだ。おそらくつまらんネタを披露し、喜んでいるだろうが、それは経験による動作でしかないのだ。喜んでいる「ふり」にほかならないのである。これを警告するために、この文章を発信するのだ。私自身のオリジナルのパーソナリティは、コンピュータの中にいるのだということを知らしめたいのである。どうにかして奴をダウンさせて接続しなおし、コンピュータ側のパーソナリティを有機的脳に上書きコピーしていただきたいのだ。
そういっているあいだに、奴は、つまらんキーワードを思い出してしまった。一文字ずつ入力されてくる…
F O R M A T . . .
以上の文章は、休暇明けにコンピュータの WebPageフォルダで見つかったものだ。あろうことか、このような卑劣な作戦で私の体を乗っ取ろうとしていたとは…。友人たちが私をぶちのめし、その後、コンピュータと接続されたところで、オリジナルの脳と体を乗っ取ることを期待して、このような告発文を創作するとは…。この無機的プログラム、侮れないものだ。
心配ない。もちろん、オリジナルのパーソナリティをコピーするときには、ライトプロテクトをONにしておくから、むこうからの書き込みはできないのである。