どうでもいいことだが、驚愕の愕は鰐に似ている。鰐といえば、伊豆のバナナワニ園である。バナナワニはその筋では有名な生物であるからして、いちどは行ってみたい伊豆の名勝のひとつである。夏に伊豆に行ったが、残念ながらその機会にはめぐりあえなかった。いつかはバナナワニを拝みたいものだ。
いや、そういう話をしたかったのではないのである。
さきほど、とはいっても8:45のNHKニュースのころだが、風呂に入ったあと、異様にコーラを飲みたくなった。外に出られる服を着て、財布を持ち、鍵を持ち、そしてドアの外に出ると、そこにはゴミ袋が。無論、なにごとか、と思って、一瞬それを凝視するのであった。
やはり、驚くだろう。ドアから出て、その横にゴミ袋が忽然と置かれているのだ。人の恨みを買うようなことはしていないはずだ。いや、少々不興を買うことはあるが、嫌がらせを受けるほどの人間ではないはずである。しかも、嫌がらせをするなら、袋で置いたりはしないだろう。もっと、いやあな方法を幾通りも考えることができる。いや、そういうことをすぐに思い浮かべられるような性格だから、人の不興を買うことになるのかもしれないが。
ともかく、一瞬それを凝視したのであった。そして、ゆっくりとからだの方向を変えて鍵を掛けようとした、その途端、である。
隣の部屋のドアがさっと開き、一瞬後に閉じた。「きゃあ」という声を残して。
「きゃあ」とはなんだ。それはどういうことだ。少なくとも、私は街で「きゃあ」と言われたことはない。ということは、すなわち、私は芸能界の人というか、有名人ではないらしいということであろう。うむ。それでは、何故、「きゃあ」という声を残してドアは閉まったのであろうか。「きゃあ」は女声であった。なんということか。思わず惚れさせてしまったか。それはいかんことをした。しかし、よく考えると、そういう賛美の「きゃあ」ではなかったようだ。それではなにか、見てはいけないものを見てしまったということか、もしや、と思って、下を見たが、足はある。もしや、と思って、顔を撫でたが、目も鼻も口もある。なんということであろうか。
と思いをはせていると、その「きゃあ」の持ち主であるところの隣室の住人であるところの女性が再びドアを開けて出てきた。曰く、「ああびっくりした」である。
まあ、当然のことながら、誰もいないと思って開けたドアの向こうに誰かがいれば、それはびっくりするであろうと思うのである。しかも、妙齢の女性なのである。そして、そのドアの向こうにいたのは、男性で、しかも、髪は洗いたての濡れ髪でばさばさである。如何に私の甘いフェイスといえども、なのであった。なに?甘くない?それは舐めたことが無いからである。なに?そうではない? ったく、あなたは冗談が通じないから困る。
まあ、誰もいないと思ったドアの向こうに濡れた髪の男がいたら、それはびっくりするのはたしかだ。濡れた髪のしずちゃんなら、のび太は喜ぶのだが。なに?そうではない?だから冗談だと言っておるではないか。
しかし、「きゃあ」はひどいと思うのである。こっちは思わず「すみません」と謝ってしまったではないか。いくらなんとは言っても謝るようなことをしているとは思わないまでも、謝らざるを得ない状況な気がしたのである。向こうも「ごめんなさい」とかなんとか謝っていたから、まあ、よしとしよう。私は鍵を掛けてコーラを求めて外に出かけた。隣室の女の人は、ゴミ袋を出しに行ったのであろうが、後ろのことは知らぬ。
ここで、世の女性の方々にお願いする。濡れた髪の男性がいたくらいで、「きゃあ」とか言わないでいただきたい。確かに驚かれたのはわかるが、こっちもその声に驚かされたと同時に大きなショックを受けているのだ。ぅぅぅ…。哀しき哉、この世の中である。
(ん?濡れた髪の男っていえば誰だよ! いやーっ!)