今週は、かなり、遅れ気味である。先週は、木曜日(ドキュメント解析の講義日)の夕刻に更新したのだが、これは、コラム自体が実際に講義で提出したものであったがためである。すなわち、前日には完成していたのだが、アップロードはされず、講義においてコラムニストの正体が明らかにされるまでは、未発表作品だったわけである。ところが、今週は提出もしなかったくせに、木曜日の夜になっても更新されていないのであった。これはどういうことかというと、要するに怠惰なわけであって、未だ、執筆されていないのである。よって、今回は、講義が終わった後に本文を書いていることになる。といっても、これ以下に挟み込まれているコラム自体は、水曜日ないし木曜日未明の時点で執筆されていたものであり、講義でのコラムに関する討論の影響は皆無なので、そこのところは、ご承知いただきたい。
といったわけで、大学院講義「ドキュメント解析」5回目なのである(この書き出しも定番化しつつあるが…)。今回のテーマは、「辞書」である。なんらかの言葉を定義するべし、ということだそうだ。
辞書といえば、「新明解国語辞典」が我が座右の辞書である。「新解さん」と巷では呼ばれるとおり、実にユニーク、実に面白いと評判である。この辞書に限らず、小さいころから、辞書、事典の類を読むことが好きであった。ある語を調べると、その説明の中で不可解な語が現われたり、あるいは連想的に他の語が浮かんだりする。その語についてまた調べるのである。すると…というふうに、いつまででも辞書を手繰ることが可能だったのである。辞書・事典とは、この世界の縮図であり、そこから様々な知識を吸収した、その結果がここにある。ネタの宝庫である。
さて、コラムである。先日、この講義をともに受けている友人の某K と話していたところ、「コラムとは批評批判風刺の類を含んでいなくちゃあいけない」なる主張をされた。ただ単に面白いだとか読みやすいだとか、これだけでは駄目なのだそうである。そういったところで、批判対象の言葉として IT が出てきたので、これについて少し書いてみるとしよう。
- IT [あい・てぃー]
インフォメーション・テクノロジ (Information Technology)。情報技術のこと。
情報化社会の基盤技術なるもののことをいうが、最近では、「猫も杓子も」を通り越し「あの首相も口にする」といわれるほど、一般化を通り越し陳腐化してしまった感のある言葉。しかし、その実体について知識を持つ人間は極めて少なく、知らない人間にとっては、いかにも素晴らしいものと見なされる。よって、現在においては、ボッタクリ的な価格設定が市場を席巻しており、ITとは「いんちき・テクノロジ」のことも意味する。最近では、いんちきに加えて、アプリケーションの作成手順も簡略化され、RAD (Rapid Application Development) も一般的に用いられている。その簡単さゆえに素人プログラマが跋扈しつつあるが、それは「いきあたりばったり・テクノロジ」と呼ばれる。それでも、いきあたってばったり、となっているものも少なくない。また、情報技術の社会では、日進月歩ならぬ秒進分歩の速度であるが、そのため短命な技術も多くあり、三日天下ならぬ、「いちにち・テクノロジ」が浮きつ沈みつしている。もちろん、本当の識者たるものは、一喜一憂してはならないのである。
一般的には、印象のみで語られることの多いこの分野、知らない人にとっては、「イメージ・テクノロジ」「イリュージョン・テクノロジ」に過ぎないのかもしれない。
はっきりいって、「いんちき・テクノロジ」だけが言いたかったことであって、それ以外はおまけに過ぎぬ。ところで、Technology は、「テクノロジ」なのか「テクノロジー」なのか、意見がわかれるところであろう。ちなみに、Digital は一般的には「デジタル」だが、専門においては「ディジタル」が正しいらしい。
さて、ほかにも批判というか揶揄すべき対象があるのを忘れてはならない。
- ダメな人間
もはや救いがたい状態に陥っている人間のこと。 (これ以上の説明ができないほど駄目なのである)
- ダメ人間 と ダメな人間
混同されると、一部で非常な抗議を受ける場合があるかもしれないので注意。基本的に、ダメ人間についての説明としては、ダメ人間とは?(ダメ人間帝国)がほぼ定説となっている。
ダメ人間とダメな人間を兼ねてしまっている人もいるらしいのだが、明確に異なると思われるのは、「ダメ人間は、実は駄目ではない」という点であろう。ダメ人間は多くの場合、ある程度以上の知識や教養を持ち、それに対する欲求、「知識欲」を持っているものと思われる。立身出世欲はそれほどない、もしくはほとんどないといえるのだが、これは、世間一般での評価に興味を持っていないためである。逆に、自分自身に対するプライドは高い場合が多く、自分自身の評価では高くあるべし、と思っている。出世には興味がないものの、「自己顕示欲」を持っている場合が多く、よって、ダメ人間を自称する人間は、自分のウェブページを持ち、しかも定期的に他人の眼を意識した更新をしている場合が多い。
というわけで、「ダメな人間」というのは、上記したような特徴よりもさらに駄目な人間のことをさすと思えば大体間違いはない。「ダメな人間は、本当に駄目である」ということである。「トホホな人」だとか「だめだこりゃな人」だとか「ネタ人間」だとかは、まだ「ダメ人間」の範疇に属する。
さらに加えて言えば、以下のとおりである。世の中には二種類の人間がいる。やればできると思っている才人と、やればできると言っている凡人である。才人のほうは敢えて実力を出していないがために駄目な場合があるが、凡人のほうは単なる勘違いで、実力を出したところでたかがしれているので駄目なのである。ただし、敢えて実力を出さないままにしていると、そのうち本当の駄目になってしまうというのも、また真実である。
こんなもの、コラムとして外部に出せるはずがあるまい、と思われる。これを読んで、「うーむ、拙いなぁ…」と思っているうちはまだ“救いようがある”ので、そう思った方は精進して頂きたいものである。
ん、なんだって、ダメな人間ったらお前のことじゃないか…だと? 心外である。失礼にもほどがある。断じて私はダメな人間ではない。敢えて言っても、ダメ人間(格)っぽいというだけである。しかし、私を形容するのに最も適しているのは、これであろう。
- ネタ人間
行動原理として、ネタになるか否かということを、判断基準とするような人間のこと。
人は意思決定をする場合に様々な基準によって判断を行う。本能的なレベルでは、自己の命を保存する方向に行動をする(例:さしたる理由もなく火事場に飛びこまないなど)。現代社会における経済第一主義的なレベルでは、利潤を追求する方向に行動をする(例:値上がりの期待できない低廉株の購入はしないなど)。これらの判断は、個人(法人を含む)それぞれによって基準が異なり、あるいは同一の個人でもその時々によって異なり、一意な解は存在しないといえる。これを論理的に決定する手段を研究する分野に「意思決定理論」などがある。
さて、世の中には、笑えるか否かということを判断基準とするような人間が存在する。もちろん、一般的な人間でも、楽しいこと、面白いこと、喜ばしいこと、などを判断基準とする場合がある。しかし、それよりもきわめて高い優先順位で、ネタになるか否かを考える人間のことを、ネタ人間と呼ぶ。
特徴としては、常にボケとツッコミを考慮する、他人の期待を予期する、他人の反応を意識する、などがある。また、同じような状況に置かれた場合にも、周囲に人がいるかいないか、あるいは知人がいるかいないかによって、行動パターンが著しく変化する。これを、「観客を意識する」と表現する。
例) 待ち人が来た途端に、その方向にダッシュし、しかも、後ろの友人を意識しつつ、壁に激突してみたりする。
例) どうせコケるならば、ひとりではなく、大勢がいるところでの方がいいなどと考え、通勤電車で実行してみたりする。
行動原理として、ネタになるか否かということが高い優先順位にある場合、遠からず大きな怪我をする(もしくは過去に既に怪我をしている)ことであろう。(ただし、その怪我さえもネタにしてしまうであろうことは想像に難くない)